2024.08.13
今、住んでいるまちは好きですか?
ふんわりとコーヒー豆の香りが漂う喫茶店。
ガッシャンガッシャンと音を奏でる工房。
細い路地の奥に佇み、地域と外とのつながりを生む宿。
まちには、そこで暮らす一人ひとりの想いが息づいています。それに気づくと、何気なく見過ごしている風景も、きっと愛おしく見えてくるのではないでしょうか。
2024年6月26日に開催された、「つぎにし(つぎの西陣をつくる交流会)」。
いよいよ今回で、記念すべき10回目です。
会場は、コミュニティ・バンク京信 西陣支店2階の「クリエイティブコモンズNISHIJIN」。窓からの景色も、かつてあったガソリンスタンドが解体されているなど、以前からは変化が見られます。
オンライン上にも東京や対馬などから多くの参加者が集まり、和やかな雰囲気の中、会がスタートしました。
オープニングトークを務めたのは、つぎにしを主催する株式会社ツナグム取締役のタナカユウヤ氏。「今回は10回目なので、ツナグムという会社のことや、どのようにつぎにしが始まったかを皆さんに知ってほしい」と、マイクを握りました。
タナカ:株式会社ツナグムとして、「人と人、人と場のつながりを紡ぐ。」をコンセプトに、こういった場で出会う皆さんや、企業、自治体の皆さんと一緒に、やりたいことを形にするお手伝いをさせてもらっています。
僕たちが中心に取り組んでいるのは、京都移住計画です。ツナグムの創業は2015年4月ですが、その前からプロジェクトとして行っており、昨年、Webサイトの公開から10周年を迎え、移住とその先をともにつくるコミュニティメディアとしてサイトのリニューアルを行いました。京都の「居・職・住」を応援しようと、コミュニティや求人、物件などの情報発信をしています。最近は、東京で「京都ローカルフェス」や「京都を語らナイト」というイベントを開催しました。今日オンライン参加の方の中には、関東に住んでいる人もいらっしゃると思いますが、東京でも会えるといいですね。
「移住計画」の動きは2011年頃から全国に広がって、各地で「◯◯移住計画」という活動が展開されています。それらをつなぐために「みんなの移住計画」というグループを作り、生きたい場所で生きる人の旗印になりたいと、活動をしてきました。
僕は滋賀県出身で、京都に引っ越してから15年くらい経ち、北区や上京区、左京区と住む場所を転々としてきました。西陣と関わりができたのは、前職時代の職場がきっかけ。今は「町家 学びテラス 西陣」という名前になりましたが、もともとは「京都リサーチパーク 町家スタジオ」として運営されていました。当時はそこの職員として、創業してからはそこの入居者であり、運営を支援するかたちで、ずっと拠点にしています。
5年前、京都市が「西陣を中心とした地域活性化ビジョン」を策定しました。その一環として僕たちが京都市から事業を受託をし、交流会事業として「つぎにし」が始まったんです。はじめはリアル、コロナ禍ではオンラインで開催しました。画面の前で頑張っていましたが、ちょっと寂しい気持ちはありました(笑)今のように、目の前で反応をもらえるのはやっぱり嬉しいですね。
▼過去の開催概要やレポートはこちら
つぎの西陣をつくる交流会〜つぎにし〜 – にしZINE
これまでの「つぎにし」を振り返ると、登壇してくださったプレゼンター58組、参加者は僕たち関係者を含めて520人。多くの方々に、西陣について考える機会を持ってもらえたんじゃないかと思っています。参加者の中から、実際にコラボレーションが生まれたという声も聞こえてくるようになりました。
▼つぎにしでの出会いから生まれた、プロジェクト
美術作家×和菓子屋が果たした、コラボレーション。 地元だからできる挑戦と、まだ見ぬ可能性。
もっと色々な人がつながって、新しい町内会のような広がりが生まれていったら良いなというのが、僕たちの願いです。ここに集まってくれた皆さん同士が顔が分かる関係になっていただいて、西陣を歩いていたら「この前、つぎにしで会ったやん」みたいなやり取りが生まれていったら良いなと思っています。
オープニングトークの後は、西陣で活動する皆さんのプレゼンテーションタイム。6組のプレゼンターから、それぞれ7分ずつ発表がありました。
最初は「じぶんのまちはじぶんでつくる」というテーマで話す予定だったものの、やや壮大ということで、きゅっとキーワードを絞ってきたという西村さん。「子どものよりよい育ちを支える会」は、植松努さんの講演会を開催しようという取り組みが元になって、2019年に結成されたチームなのだそうです。
西村:私たちは「knocks! horikawa」という、本とアートと学びが融合したコミュニティスペースを協同運営しています。2021年、堀川商店街にあるカフェ「京極ダイニング」で、2日間みんなで本を持ち寄ったのが始まりです。その後、本と音楽を組み合わせたら面白いのではという意見があり、活動に音楽が加わりました。そして堀川商店街の端っこに、京都建築専門学校の学生さんがデッキをつくってくれたので、本棚を持ち込んでみました。さらに、ANEWAL Galleryさんからのお声がけで月1で図書館をさせていただくことになり、そんな過程を経て常設図書館になっていきました。knocks!horikawaでは平日の16時から19時まで、「いきる(生きる・活きる・イキる)」を学ぶ”juku HOPE”という塾を開いています。私は居場所をつくるというよりも、居場所をつくる子どもを育てる、というような感覚でいます。植松努さんも「教育とは、死に至らない程度の失敗を安全に経験させるためのもの」と仰っていますので、ぜひ皆さんも子どもと一緒にまちを育てていただけたらと思います。
川や海に出かけ、自然の中に身を置くのが趣味だという宮崎さんは、光清寺の副住職を務めています。もともとは、お寺の息子ではないという宮崎さん。外から来たからこそ、お寺の敷居の高さを感じ、もっと開かれた場所にしたいと活動をしています。
宮崎:光清寺には、重森三玲さんが作庭された「心和の庭」という庭があります。私がお寺に来た当初はまったく開放しておらず、檀信徒以外の方から「見せてください」と言われても、ずっと断っていたんです。でも次第に、こんな美しい庭を私たちだけで独占するのは申し訳ないという思いが湧き、限られた時間の中で開放することにしました。他にもお寺では、座禅やヨガ、写経、子ども書道などを体験できる催しを開いています。お寺は昔、寺子屋と呼ばれていました。子どもから大人までがお寺に来て、活動を楽しみ、学びを持ち帰っていただく場所だったんです。お寺とは本来そういう場所なんですよと、私たちが正しい発信をしていくことが大切なのだと思います。人と人とがつながり、自然とご縁が広がる大切さを、伝えていきたいです。
あまり聞き馴染みがない、「コンバートEVバイク」という言葉。これはエンジンで動いていた古いバイクを電動化する手法と、それによって完成したバイクのことを指すのだそうです。株式会社machi-hubでは、築100年の町家をリノベーションしたガレージアトリエ「moto-machi」で、コンバートEVバイクの制作と普及に取り組んでいます。
番匠 :京都芸術大学の環境デザイン学科を卒業してから、1年間フリーランスでデザイナーをし、株式会社machi-hubを立ち上げました。在学中、デザインをする上で、自分とは違う領域とコラボレーションすることが1番大事だと気付きました。伝統工芸をはじめ、多種多様なものづくりや文化が混在する京都は、面白いアイデアに満ち、 新しいものづくりができるんじゃないかと思っています。
宇都:これまでは50cc、125cc、250ccクラスの3台のコンバートEVバイクを制作しました。街中にあるシェアサイクルは短い距離を移動することを想定していると思いますが、僕たちは郊外から京都の中心地に移動するような、もう少し広い移動のスタイルを、コンバートEVバイクを通じて提案していきたいと考えています。コンバートEVバイクの対象となる車体は、40年、50年と、バイクとしてはかなり年季が入っているものが中心です。物理的、社会的な要因で役割を終えてしまったものに、少し手を加えることで新しい価値を与えて、この先10年、20年と使っていけるようにする。京都のものづくりの文化ともすごく親和性が高いんじゃないかなと感じています。
株式会社machi-hub
ガレージアトリエ「moto-machi」
PERISCAPE ARCHITECTSは、東京の清澄白河と京都の西陣の2拠点で活動している建築設計ユニット。代表の髙井さんが建築デザインを、副代表の小野寺さんが構造設計を担当しています。社名の”PERISCAPE”は、潜望鏡”Periscope”と、都市景観”Cityscape”を組み合わせた造語なのだそう。別の世界を覗き込むように、風景の価値を捉え直す、「SCENE」というプロジェクトについて紹介していただきました。
小野寺:近所なのに自分では全然気づいていなかった場所があったり、自分にとって印象に残っている風景が誰かにはまったく刺さっていなかったり。きっと皆さんも、誰かと話していて、そんな経験をしたことがあると思います。自分にとっての日常は、誰かの非日常だったり、特別な場所だったりする。そんな体験を味わってもらいたいなと、自分が好きな場所や風景を1枚の写真と見開き1ページの文章で書いてまとめた、「SCENE」という冊子をつくりました。ちなみに僕のシーンは、北野商店街。夕暮れの写真と一緒に、昔路面電車が走っていたことや、行きつけの八百屋さんについて書いてみました。同じように、皆さんからもシーンを募集して、新しい一冊をつくろうと考えています。ぜひご協力お願いします!
▼投稿用URL
https://forms.gle/J3eoRCtahi2TrV9t6
会場に、美しい布や箔の数々をお持ちいただいた岡本さん。1909年に創業された岡本織物株式会社は、4世代100年以上にわたって、全国の神社仏閣に金襴の織物をおさめてきました。しかし西陣織の業界全体で高齢化が進んでおり、このままでは引箔・柄箔といった高度な技術が失われてしまうかもしれません。私たちがつくりたい織物が織れなくなってしまう……。そんな危機感から、新しい販路の開拓を始めました。
岡本:私たちの布は、すごく高価なものなんです。「高すぎる」と断られることも多かったけれど、安売りはできませんでした。ずっと使ってきた素材や守ってきた技術を、新しい分野に提案していくことにしたら、すごく高い評価を頂戴して。アパレルブランドの「ha | za | ma」とのコラボレーションや、車の内装など、色々なお話をいただきました。高品質で高価格だからこそ、本物志向の方にも安心して伝わるのかなと思います。私は、子どもの頃からものづくりが大好きです。せっかく京都の伝統工芸の世界にいるので、様々な方と協力しながら、海外にも届けられるような商品をつくっていきたいと思います。
「西陣がわかれば日本がわかる。」という本を出版した吉川さんは、1971年生まれ。以来53年間、住まいも学校も職場も、ずっと京都で暮らし続けてきたそうです。本業である印刷の仕事を「伝えるビジネス」と呼ぶ吉川さん。伝えるという思いと、京都への愛がミックスして「Kyoto love Kyoto.」というWebサイトも運営しています。八坂神社の扇子を片手に、軽妙なトークで会場を沸かせました。
吉川:若いころは西陣エリアで宅配ドライバーをしていました。ある時は学生バイトとして、またある時はボランティアとして25年もの間、西陣の地を配り歩くうちに、このまちに魅せられて本まで出してしまいました。西陣のあらゆる道を配達してきましたが「西陣」と名のつく住所は1つもないんです。つまり、西陣はその地域が明確に決まっているわけではないんですね。だから、一人ひとりの中に西陣のエリアがあって良いのではないでしょうか。ちなみに私にとっての西陣とは広く上京区全般のこと。上京区は堀川通を境にして、東と西でガラリと表情を変えます。東はお公家さんのまち、西は職人と商人のまち。このまちには京都、いえ日本の歴史が凝縮されています。政治と経済の中心は東京に移りましたが、文化の中心は今も京都だと思っています。私はそんな西陣のまちの風情を楽しみながら配達をしていました。ドライバーを引退した今も西陣愛は変わりません。
6名のプレゼンテーションの後は、グループに分かれての交流タイム。
閉会の時間を過ぎ、会場の外に出てもなお、和気あいあいとした会話が続いていました。
つぎの西陣をつくる交流会、通称つぎにしは、今回で10回目。
これまで1回、1回と回を重ねる度に、新しい出会いや、交流が生まれてきました。
約5年という月日の流れの中で、当時は新しくできたばかりのお店が、常連さんで賑わっていたり。「はじめまして」だった方同士が、コラボレーションしていたり。かつて理想の未来として願っていた光景が、今では新しい日常になりつつあります。これまでの生活をアップデートし、「つぎの西陣」をつくってきたのは、それぞれの小さな行動の結晶なのだと思います。
これからも、きっと少しずつ変わっていく西陣のまち。これからの「つぎ」や、未来の日常を築いていくのは、あなたの挑戦なのかもしれません。
▼つぎにしに関わるみなさんのインタビュー記事も、合わせてご覧ください
変わりつつある西陣の、現在地。お互いを尊重した、多様な関わり方とは | 京都移住計画
執筆・撮影:小黒恵太朗
編集:北川由依